昭和40年05月31日 夜の御理解
あいよかけよで願い合うて行くということ。御礼とかお詫びとか、願いとかとということが言われるんですけれども、現在、私共の場合、もうここに一つの願いを焦点としていかなければならないなと言ったようなことを、今日は特にそれを感じたんですね。今朝からの御理解を頂いておってそれを、今日はほんとにあのお参りしてくる方が、お参りしてくるごと、殆どもう朝のテープをあのやっぱり聞いていかれるんです。
それで皆さんが、それぞれにやっぱり感銘受けて、例えば丁度昼ごろある方が参ってまいりまして、丁度下がってからでしたから、まあ昼一緒にあげましょうと言うてからもう、只今の御理解頂きよりましたら、腹いっぱいになりましてからと。してから帰られたんですけども、そんな感じでしたですねえ。なら腹がいっぱいになったというそのその事の結局お互いが、今朝の御理解を頂いてから、皆さんが願われることは、兎に角御造営が成就するということ。そこに焦点を置かなければならない。
それを願いとしなければならない。そこで今度ほんなら私の場合は、どういう風になるかというと、皆さんが本当に助かって下さらなければならない。例えば日頃の普通の助かりではない、特別の助かりを助かっていかなければならない。いわば私はここで皆さんがおかげを頂きたいとこう願うお方たちが、助かっていかれることに願いの焦点を置き、皆さんが御造営が成就するということを願うて行かなければならない。
そこにこのあいよかけよで願い合うていくということになってくると思うんですけども、そこでその願いなんです。そこで、どうぞおかげ頂きますようにと言うて、こう願う。これは、私共でもあなた方でもいの焦点は違っておっても、願うことにおいては変わりはない。願うからにはやはり神様に一つの条件を与えなければならん。それが信心の喜びが、信心の徳が有り余るようにあって。
神様が喜んで、おかげを下さっておるというような実感が有ればこの別ですけれども、どんなに考えても、私共、椛目の場合、まあ、大変な神様にご無理を掛けなければならないと言うような感じが致しますから、願うのである。ためには、先ず、椛目で助からなければならない。皆さんは、その事を先ず、願わなければならない。「ね」。また、願うからには、そこに、条件がある。「ね」。こういうような修行もさせて頂きますからと。どうぞ、御願いいたします。
いわば例えば一つのことを、対人の場合でもそうです。みんな願いに行くときには、必ず条件を入れます。その条件で向こうが不服そうにしておるならば、もっと相手が納得する、喜んでもらえる、安心してもらえる条件をこちらが出す以外にはない。もうあんたが、そげんまでに言うてくれるならば、承知しましたということにもなるようにです。皆さんの信心がです。願いがです願いをかけていくということがです。
ただいま、こういう修行をさせて頂いて、それを条件として願っておると。それで皆さんの心にです。神様が、あんた達がそういう風に縁があるならばと、言うて下さるような、ま、こう神様が承知してくださるような、感じがするところまで、修行を高めて行く、進めて行かなければならない。無理なことを願うのですから、こちらにも、やはり無理な、いわば、条件であっても。
折角ならば、相手が安心してもらえるような、喜んでもらえるような条件をこちらが出してからの、願いでなからなければならないとこういうのである。これは、私達でも同じこと。ほんなら、私の願いの焦点が違う。皆さんは、御造営のこと。私は、皆さんが助かること。「ね」。それぞれに助かりを願われる。その、助かりをです。普通ならばです。まあ、神ながらに、助からなければならんのだけれども。
今はそんなわけにはいかん。どうでも助けてもらわねばならん。そこに私も焦点を置かせて頂いて、皆さんが本当に、取次ぎ助けられるために、私自身神様へまあいうならば、神様が喜んでいただくような条件を入れて、神様におすがりさせてもらう。皆さんも、神様に喜んでいただけるような、条件の修行を、条件として願っていかれる。そこにです。この条件でなら神様、きっと聞いて下さるなというようなです。
一つの心の中にそういう、まあ確信が出来るようなところまで、皆さんの、信心修行がです。進められていかなければいけないと。神様が安心してくださる。神様が喜んで下さる様な条件とは、どういうような条件を持って、一番神様が喜んで下さる条件になるだろうかというところに、練っていかなければならんのであり、焦点を置いていかなければならんと思うですね。有り難うございました。